昆虫に感染する昆虫ウイルスには、身体を溶かしてしまうとか、行動を制御してしまうとか、ホルモンを不活化してしまうとか、我々ヒトに感染するウイルスでは考えられないような様々な手段で宿主を制御しています。人類がチンパンジーから枝分かれしたのが700万年前であるのに対して昆虫の誕生はおよそ4億年前と考えられており、あまりに長い間、昆虫と昆虫ウイルスがせめぎ合ってきたと考えれば、この様な昆虫ウイルスの「すごさ」は当然なのかもしれません。私達は、この様な昆虫ウイルスの宿主制御機構を明らかにすることを目的に以下の2つのウイルスについて研究を進めています。
一つ目は大型のDNAをゲノムとして持つバキュロウイルスです。このウイルスは130以上の多くの遺伝子を持ち、しかもそれぞれの遺伝子が宿主細胞の自殺を阻止する、タンパク質を分解するなどの役割をもっており、さながら一国の軍隊の様です。しかしながら、このウイルスの宿主制御にはまだまだ多くの謎があり、例えば近年、私達はバキュロウイルスが宿主の分子シャペロンと呼ばれるタンパク質をもウイルスの粒子形成に利用している可能性があることを見出しました。そこで、私達はバキュロウイルスが引き起こす様々な生命現象に着目し、それらがどのような宿主制御メカニズムによるものなのか明らかにしようとしています。また、バキュロウイルスを利用した組換えバキュロウイルス発現系(BEVS)は、獣医薬タンパク質やヒトのワクチン生産などにも応用されており、その利便性や発現量を増強するための新規ベクターの開発にも力を入れています。
二つ目は一本鎖RNAをゲノムとして持つマキュラウイルスです。このウイルスは昆虫の培養細胞で宿主を死滅させずに共生し、しかも多量のウイルス粒子を放出する持続感染型のウイルスであり、さながらスパイの様です。しかもそのゲノム構造は植物ウイルスに類似性を持っています。この様な植物ウイルス様ウイルスが昆虫の培養細胞で共生するということは異例であり、私達はマキュラウイルスがどのようなライフサイクルを持っているのか、また、どの様にして宿主の生体防御をかいくぐり、かつ宿主と共生するような形で感染を成立させているのかを明らかにしたいと考えています。これまでに、マキュラウイルスのいない培養細胞の樹立や、ウイルスの感染性クローンの構築を行い、現在、ウイルスの混入源の探索や不活化に関する研究、そしてマキュラウイルスをバイオテクノロジーの分野に活かすための研究を進めています。